田舎暮らし タイヨウとうみ

東京から香川県に移住してゲストハウスを営む家族の子育て日記。

東京ビックサイトのUターンIターンイベント

休日の朝、いつもどおり9:00頃に目が覚め、なんとなくスマホをいじっていると、今日、東京ビックサイトでIターンUターン関連のイベントをやっているのを見つけた。移住するかどうかは、別として、住みたいと思える場所が本当にあるのかというのが知りたかった。当日であったが、家族揃ってビックサイトへ行くことにした。

 

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全国各地から地方自治体が地域のPRのために来ていた。テレビカメラも来ていた。取材されそうになったけど、お断りした。「地域おこし協力隊」の募集のためのブースも結構な数あった。その頃はまだ、地域おこし協力隊が何なのかも分からなかった。

 

大きな会場のイベントなので、参加する地域の数も多かった。それでも全国すべての自治体というわけではない。移住受け入れにチカラを入れている地域が集まっているのだろう。


でも、僕は、「特産品は東京にいれば、ほとんどのものは買えるし、景色なら旅行で十分。」なんて考えていた。結構、特産品をPRする地域が多く、僕の感覚からすると、ちょっとピントがずれているような気がしてならない。住んでみないと手に入らないものを教えてくれる自治体は無かった。

 

知りたいのは、移住のためにどんな制度を用意してくれているか、ということと、住宅や仕事についての情報が欲しかった。しかし、聞いても求めていたような情報が聞けるところはなかったように思う。

 

ここで興味をもった地域が2つあった。1つは東京からアクセスが良いという山梨県大月市。もうひとつは、全然東京から近くないが、岡山県瀬戸内市瀬戸内市は瀬戸内海の近くがよいという妻の希望で行ってみることにした。

山梨県 道志村に住んでいたかも

会社を立ち上げる前、フリーのWEBデザイナーとして活動している期間が2年弱あった。当時、その環境に導いてくれた恩師とはその後も仕事を一緒にする機会があり、この年もたまたま新年会を兼ねて会うことにしていた。

 

高島市や淡路島に行ったときのことを話をすると、
「実は、自分も山梨県道志村という所でパン屋をやりながら今の仕事もやろうと考えていたことがあって、不動産の契約も寸前までいったことがあった。道志村なら東京からも近いから打ち合わせ程度なら通うこともできると思って。」
という話を聞いた。

 

それまで、そんな発想をもって田舎を考えたことが無かったので、ビビっときた。
道志村!」
「東京の近くにそんなところがあるのか、それだったら、僕の仕事も続けながら田舎にも住めるのではないか!」
「これこそが、家族の願いを全て叶えることができるプランだ!」

 

と思い立ち、早速その週末に道志村に足を運んだ。

 

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森の中に川と並行して国道がある道志村は関東のキャンプ地として有名。名産物はクレソンと少しビミョーではあるけれど、都心から程よく離れた田舎でした。

 

キャンプに来ているのでも観光に来ているのでもないので、やることはひとつ。
恩師がお世話になった不動産屋にその場で連絡。不動産を紹介してもらえることになりました。

 

3件の物件を紹介してもらう予定で、最初の2件は、イマイチ。
しかし、3つめに見せてもらった物件はかなり当りで、敷地も広いし、大工さんの住まいだったということで、造りもしっかりしていた。
「いや〜もうここに決めちゃおう」

 

少し考えますとは言ったけど、そのとき気持ちは「もうここしか無い」と思っていた。

 

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本当にそこに決めてしまいそうだったのだけど、ちょっと考えた。
「物件は素晴らしいけど、本当に道志村で良いのか?」
「確かに働き場所としては東京まで通勤する人もいるくらいな距離にある。」
「でも、山間部のため日照時間は短い。国道の周りしか住める場所が無いような。」「高島市より確かに田舎ではあるけれど、田舎に求めていたものは何だろう。」

 

ここから「理想の田舎」を求めはじめることになる。この後、いろいろ他の候補地を探しているときもここの物件のことは長い間心に残っていた。

 

道志村に行ったことで、移住計画が本格的に動き出した。
「本当に住みたい田舎ってあるのかな?」
「もし、本当にそんな場所を見つけることが出来たら住んでも良いかも」
そういう考えに変わったのは、この日でした。

三豊市を知る

冬の旅から帰ってきた3か月後、渋谷ヒカリエで開催されたイベント、「地域といきるゲストハウスサミット2015」に参加しました。

 

そこで有麟庵、空音遊、地球宿のオーナーやスタッフの皆さんとも再会。
全国各地のゲストハウス紹介ブースもあり、日本にはこんなにたくさんのゲストハウスがあるんだと驚きました。

 

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ワークショップは、講師陣も参加者も多種多様で、ゲストハウス開業のためのノウハウの他、地域を巻き込んで自分たちがどんなふうに生きているか、という紹介もあり、とても興味深いものでした。特に熊本県阿蘇で、「阿蘇び心」を経営されているじゃけんさんの、土地探し&立ち上げストーリーは印象的で、偶然は必然になるんだなあ、と思ったことを覚えています。

 

まだどこでやるかは決まっていないけど、何となく、こういうところがいいなという場所があり、どんなゲストハウスにしたいかというイメージもある、家族会議はまだ続行中、、という状況の中、瀬戸内海に面した地域に住みたいと話していたら、同じ班の女性が「三豊もいいところですよ」と教えてくれました。

 

彼女は仁尾町の出身で、私も彼女もお互いにパートナーがいて、いろいろ進めていくにはパートナーの理解が必要で、似た境遇ということもあり、とても親近感を持ちました。

まさか、仁尾町に住むことになるとは、その時は思いもしなかったですが、ここでの出会いが大きな一歩となりました。

 

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これまで香川県にはほとんど行ったことがなく、「三豊市」は、聞いたことのない地名でした。帰ってから、インターネットで三豊市を調べると、空き家バンクや移住支援制度が結構充実しており、ここは一度行っておかなくては!ということで、家族会議の結果、夏休みを利用して、旅に出ることにしました。

 

(Aya)

淡路島でゲストハウス初体験

前回の記事で、「あ、もう移住を決意したんだ。」と思った人もいるかもしれないけど、そんなことはなく、依然として移住には後ろ向きのまま、その年も終わろうとしていた。

 

年末の帰省も兼ねて淡路島へ車で移動。兵庫県の妻の実家と自分の実家のある名古屋に寄って帰る計画。

 

宿泊先は、「花野」というゲストハウス。家族で営んでいて、民宿なんかよりユルイ感じの、友達の家に来たような感じで気遣いなく迎えてくれる。ゲストハウスの利用がはじめてなもので、最初は違和感を感じていたがすぐに慣れた。宿泊先でキッチンを使うとか初体験だったが、今思えばもっとガッツリ使ってゲストハウスらしさを堪能しても良かったと思う。

 

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そこには子供が2人いるのだが、うちも子供がいることもあって、つどつど部屋に遊びに来る。朝になると子供たちがおはようと起こしに来る。家族の生活の中にゲストが入っている。「こういうやり方もあるんだ」と、このゲストハウスでの体験が、僕らがゲストハウスをやる上での参考になった。

 

淡路島は、特に食事が充実していた。いろいろな旅行先に行ったけど、食事の面では一番充実感を得られたかもしれない。魚介類とかじゃなくて、牛丼や麺、カレーなど身近な食事が美味しい。

 

玉ねぎの産地として有名な地域。揚げた玉ねぎが丸っとのっているつけ麺や、淡路牛と玉ねぎを使った牛丼が美味しかった。観光なので、鳴門の渦潮を観たり、普段あまり観光をしないのだが、ここは島で比較的どこでも行きやすいため観光をした。とくに淡路島牧場はとっても良かった。

 

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目的地だった淡路島マンモスのプレーパーク・マンモスは初日に行ったのだが、あいにくの雨だった。そこは、まさに自然の遊び場で、いくつか遊具があるものの、どれも自然に少し手を加えただけのものだった。

 

遊ぶには頭と体力が必要だ。雨も降っていたのですぐ帰ろうかとも思ったが、歩いているだけでもなんか楽しい。理由はよく分からないけど、少しのドキドキ感と先に何があるんだろうという期待感がある。子供達が楽しそうに、しているのを見ていると何もなくても遊べるのはそのとおりだなと思う。

 

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運営者の方と連絡をとっていたのだけど、残念ながら時間的なすれ違いで会えなかったのは残念だった。

 

そしてこの後、年が明けてから移住に向けての活動が一気に加速する。

 

 

 

ゲストハウスでの出会い

各地をめぐる中で、ずっと行きたかったゲストハウスにも宿泊し、そこでの出会いが大きなワンステップとなりました。

 

徳島県三好市の「空音遊」は、ずっと行きたかったゲストハウスです。
2015年2月、ついにたどりつきました。

 

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シェフのKaoriさんが作る野菜やお豆腐のお料理はとても斬新でおいしくて、おぉ~!という感動がたくさんありました。

帰り際にいただいた酒かすスコーンは、チーズのような風味があり、酒かすってこんなふうにも使えるんだとびっくり。

オーナーのりさんは、廃校を利用したカフェや、移住した人について教えてくれました。「いま、四国がおもしろいですよ」という一言が、とても印象的でした。

 

倉敷市のゲストハウス「有麟庵」では、オーナーの中村功芳さんから、全国各地のゲストハウスが集まるイベントを東京で計画していること、一度は行っておくべきだという、長野県安曇野市の「地球宿」のことを教えてもらいました。

功芳さんは、地域の魅力を世界に発信する拠点作りの活動を精力的にされており、いろいろな話を伺って、是非そのイベントに参加してみたいなと思いました。

 

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また、有麟庵では宿長のミッキーはじめ、数人のスタッフが、折り紙やけん玉など、子どもたちの遊びやおしゃべりに、気長に付き合ってくれました。

子どもでも、ひとりの旅人として、ちゃんと向き合って同じ目線で接してくれるんだなぁと、あたたかい気持ちになりました。

 

そして3か月後、ゴールデンウイークを利用して、安曇野の「地球宿」に行きました。

 

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オーナーの望さんは、関東からの移住者ですが、安曇野市議会議員でもあり、地域に根ざしていろんな活動をされている方です。お米やえごま、野菜なども作られていて、みんなで夕ごはんにいただきました。

野外保育の「森のようちえん」も安曇野には増えているようで、「窓際のトットちゃん」に出てくる、「トモエ学園」のようなユニークな学校についても教えてもらいました。

どんなゲストハウスをやりたいかを相談したら、「まずは自分たちがそういう生活をやってみることだね」、と。

この望さんの一言に支えられて、今の暮らしがあるかなと思っています。

 

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冬~春の旅では、他にも、淡路島のゲストハウス「花野」や、長野の友人宅、農家民宿にも泊めてもらいました。

一緒に料理をしたり、山菜を採ったり、畑仕事をしたり、川や海に行ったり、銭湯に行ったり、、その地域の生活を子どもたちと味わって、自分がどんなことをやりたいのかが、かなり明確になりました。

そして、私って海や湖が好きで、瀬戸内海には特に思い入れがあるなぁ、と気づきました。

東京から距離はあるけど、何とかこっち(関西)に住めないかな、できれば瀬戸内海に近いところに住みたいな、という気持ちがだんだん大きくなっていきました。

 

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でも具体的な場所については、夫婦共にここだ!となかなか決められないまま、頭の中でぐるぐる考え続ける日々が続きました。

 

(Aya)

 

子供たちの遊び場問題

高島市が意外と田舎ではないと感じてから、自分の育ってきた40年前の環境は、恵まれていた環境だったんだと思った。

 

東京の公園では、花火や野球が禁止なので、虫をつかまえたり河原の石で遊んだりといったように子供が普通の遊びをするためには、遠くにキャンプにいったりしないと出来ない。

 

そんなこと簡単にできないから、子供向けのイベントや遊び場を探しては、週末に連れ出すのが子供の遊びたい気持ちを満たす方法だった。平日は学校と学童保育以外の場所にいける場所がないというのはサラリーマンの生活に似たようなところがある。週末は子供達にとってストレス発散の日なので、なるべく一緒に遊ぶようにした。

 

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東京に住んでいると直接的にしろ間接的にしろ、お金を払わないと遊べない場所が多く、そんな遊び場は、作られた遊び方に子供達が合わせていかないといけないので、違和感を感じることもあった。

 

公園に行って遊具で遊ぶというのは、自由であって自由でない。遊具で遊ぶ以外の方法が他に無い場所になっている。先に遊ぶ環境があって、気持ちがついてくる遊びよりも、思いついたことを遊びにするような遊び方をして欲しかった。

 

人の作った遊びにはルールがあり、その範囲内で遊んでいる限り考えなくて良い。
頭を使わない遊びに僕ら夫婦は違和感を感じていた。

 

そこで妻が見つけたのが淡路島マンモスという施設にある自然を使ったプレイパーク「プレイパークマンモス」だった。その運営者の思いに共感し、年末の休暇を使って淡路島に行くことにした。

移住先を探す

これから優先したいこと、やりたいことは漠然とまとまりましたが、では次に何をすべきか。

学生時代にバックパッカーで東南アジアや中国を旅をしていたとき、「将来、神戸でゲストハウスがやれたらいいなあ」と、何となく思っていました。

旅先で一番興味深かったのは、その国・その地域の生活習慣や、現地の人の暮らしぶりです。一緒に市場に行って買い物をしたり、料理を教えてもらったり、お祭りを見たり、その土地にいる人たちと一緒に一日を過ごす。

そして、そういった経験を、出会った人々と話したり、共有し合うことは、単なる観光よりもずっと思い出に残りました。

ゲストハウスをするなら、そういうことができればいいな。

 

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自然豊かな場所で、その地域のヒト・モノを活かしながら暮らしている人に出会える、
驚きや発見があり、そこに住む楽しさがわかる、
大人も子どもも無我夢中になって遊べる場所がある、
普段やらないことにトライできる、

そんな、場所です。

 

妄想だけは大きく膨らみ、では実際にどうやって運営するの?どこでやるの?という問題は残りつつも、まずはキャンプや旅行で気に入った場所を巡ることから始めました。

地元である兵庫県の宝塚、神戸も大好きですが、もうちょっと田舎で探したいな、と。

 

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 そして、「移住」「田舎暮らし」などのキーワードでネット検索して見つけた、「いなかパイプ」や「生きるように働く~仕事百貨」などのサイトを活用しました。

どちらも、東京含め、各地のいろんなヒトの生き方や働き方が紹介されていて、読むだけでも楽しいサイトです。そこで情報を得て、地域おこしや移住相談会などのイベントに参加しました。

また一方で、自然の中でめいっぱい保育する「森のようちえん」や、時間割などがない独自の自主教育を実施している小学校なども調べました。

長女は近所の区立小学校に通っていましたが、放課後は児童館の学童保育を利用しており、習い事や塾に行くお友達も多かったので、平日に外で遊ぶ機会が少なく、もうちょっと世界が広がればいいなと考えていたからです。

 

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でも結局、学校等にはこだわらずに探すことにしました。
家のそばに庭や畑、山や川があれば、毎日キャンプみたいに過ごせるね、と子供たちと話していて、環境が変われば、それなりにやっていくんじゃないかと思ったからです。

また、移住先はパートナーの仕事の関係上、東京へ毎日でなくとも、定期的に通える場所が理想でした。奥多摩青梅市山梨県の白洲町、千葉県いすみ市などキャンプで訪れた場所も候補の一つになりました。

帰省や旅行を兼ねて、滋賀県高島市兵庫県の淡路島、神奈川県道志村山梨県大月市富士吉田市忍野村岡山県瀬戸内市倉敷市徳島県三好市神山町、長野県安曇野市上田市、、と気になった土地を一年以上かけて、見て回りました。

そして、行く先々で、さまざまな暮らしぶりを見て、日本は広い、東京だけが日本じゃない!と強く感じました。

 

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(Aya)

 

 

「田舎じゃない!」僕にとっての田舎って

その年の夏、高島市へ行く日がやってきました。

天気は...台風です(>_<)

 

東京からレンタカーを借りて移動中。琵琶湖の東側を北上している時に激しい雨に襲われ、数メートル先が見えない。すっかり暗くなったころ、ようやく宿泊施設にたどり着いたのでした。

 

古民家を改修したという建物はそれは立派なもので、これを基準に古民家改修を考えてたら高い目標に絶望するレベル。土間に床暖房とか入ってます。

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建物の中も良いのだけど、この庭が素敵だった。

 

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市街地というのか買い物ができそうなエリアまで車で15分ほどの距離。林道を5分ほど上ってこの施設にたどりつく。近所で野ウサギを見かけるほど素敵な場所。

 

結構北のほうで日本海側に近いエリアということもあって冬はがっつり雪がふるそうですが、夏は涼しくてすごしやすかった。

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薪割りとかしたことなかったので、体験してみたり、害獣となってしまった鹿肉を食べてみたり、棚田をみようとして、田舎道に迷ってみたり。琵琶湖で子供達が戯れたり、キャンプとはまた違う楽しさ。

 

高島市はいろいろ充実していてとても良いところでした。

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僕が想像していた田舎って映画『WOOD JOB!』に出てくるような田舎を想像していたこともあって、「あれ?結構都会だぞ」って、思っちゃいました。

 

僕が生まれ育った愛知県春日井市の家の周りには田んぼがたくさんあった。舗装していない道も結構たくさんあったと思う。

「その風景とそんなに変わらないぞ。ここで新しい体験が得られるのだろうか?」

40年前と比べるのは少し違うのかもしれないけど、自分がイメージしている田舎って、ド田舎なんだと再認識。

 

そして田舎に行くのも過去の体験を懐かしんだり、都会から逃げるようにするのではなく、新しい体験や知識、その場所でしかできないことを得るために移住しないと後悔するだろうなって思った。

 

 

都会を離れる

新卒での配属が東京だったこともあり、18年間、東京で暮らしました。

転職を数回、職場は新宿、丸の内、渋谷、六本木、品川、二子玉川など主に都市開発が進む地域で、便利で魅力的なモノがたくさんある場所。
様々なタイプの面白い人々との出会いもあって、仕事も遊びもとても刺激的でした。

結婚して子どもが生まれ、運良く保育園にも預けられて仕事も続けられて…。

 

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そんな日々の中、長女が小学校に入学する前後から、子どもたちの遊び、学び、食など生活に関する環境について、何となくこのままでいいのかなあと感じるようになりました。

豊かな自然があるところで子育てしたい、自分たちでなるべく手作りしたい、全く違った環境で新しいことをやってみたい、、

私もパートナーも、まもなく40代、これからどんなふうに生きていきたいんだろうと、よく考えるようになりました。

 

優先したいことは

・豊かな自然環境での子育て
・自分たちでなるべく手作りすること
・わくわくする仕事
・人とのつながり

 

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子育てについては、
自然の中で五感を使って遊ぶ。
四季の変化がある暮らしの中で予想通りにいかないことがあっても、創意工夫で乗り越える力を付ける。
興味のあるものに取り組む。

手作りについては、
野菜やお米、調味料やお菓子、ご飯など日々食べる物をできるだけ手作りする。
作る楽しさを知る。

仕事については、
何か新しいことをやりたい。
人とつながれる何かをやりたい。

 

今までは、仕事も生活も効率優先でしたが、これからは、じっくり丁寧な暮らしをしたい。

じゃあ、

東京を離れてどこに住む?
パートナーは仕事を続けられる?
会社をやめたら自分の仕事は?

さて、どうしたらいいんだろうと、模索が始まりました。。

 

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 (Aya)

東京を離れるなんて考えたことも無かった

あの頃は、東京を離れるなんて1ミリも考えたことが無かった。

 

東京に20年住んですっかり東京のスピード感が馴染んでいたし、東京に来てはじめて自分のリズムに合う生活が見つかったように感じていた。

 

「仕事もあるし、東京を離れることなんてできないし、したくない。」
最初に妻が田舎で暮らしたいと言ったときも、実現しない話だと軽く聞き流していた。

 

「自然に触れたいなら、キャンプをたくさんすれば良いじゃないか。」
というのが、僕の結論だった。

 

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妻がネットサーフィンでみつけた「いなかパイプ」というサイトがあって、「これに行きたい。」と言ったのが、品川でやっていた「日本全国!地域仕掛け人市」というUターンIターンイベントだった。

 

「移住なんてしないけど、休日の暇つぶしにはちょうど良いかな」
という気持ちで「日本全国!地域仕掛け人市」に行ってみた。

 

会場は、いくつかの地方自治体がブースを展開していた。特産品や地理的条件の良さなどのPRをしたりしているのだけど、楽しそうだし可能性は感じるのだけど、移住する気持ちが無いのでイマイチささらない。

そのイベントに参加していた自治体のひとつに滋賀県 高島市があった。移住者の呼び込みには積極的な自治体で、妻は以前から情報を得ていたこともあって、興味を持って聞いていた。

 

高島市の「結びめ」という団体が、移住希望者のためのお試し宿泊施設を運営するなど、行政ではなく若者を中心に積極的な活動をしていたのが印象的だった。そしてその後、この「結びめ」のご縁で高島市に行くことになる。